百合とメガネと大体駄文

ブログ名のとおりです

百合に対する文献を見つけた話。

ごきげんよう。百合大学巨大感情学部三角関係学科バカでかい片想い専攻のゼミ生です。

皆さん、百合について学術的に考えようと考えたことはあるでしょうか。私は幾度かあります。
理論として百合が成立してたら面白いなぁという好奇心と、メタ的に百合を見てみたいという好奇心です。

しかし、いくら頑張って探しても百合というジャンルについて言及されている文献は見つからないんですよね。(CiNiiで検索して引っかかっても人名や地名ばかり)
百合を諦め、ガールズラブで検索したらなんと0件でした。とても悲しい。

ところがどっこい、性別を入れ替えたBLに関して検索してみると、これが意外と引っかかる。

個人的に一番衝撃だったのは、「BL進化論(発行:太田出版)」という本が出版されていたことだ。360ページくらい全部BLについて書かれている。まだ第一章の途中までしか読んでいないが、「どのようにしてBL文化ができたのか」「BLの構造とは」「BLにおける行為について」などと、面白い話がモリモリ書かれている。すっげえおもろい。

このように百合より常に1歩2歩先にあるジャンルであるBL。
今度はあの有斐閣から「BLの教科書」*1という本が出るらしい。法学系の本を専門的に扱う出版社からBLの教科書とかいう本が出版されるんですよ?BLすごすぎる。

この本の目次が公開されていたので見ていると、こんな物があった。

Column(2) BLと百合,近くて遠い2つの世界(田原康夫)

おい、百合おるやん。

人名でもなく地名でもなく、花の名前でもなく、鬼百合や姫百合と言った言葉でもなく、女性と女性の同性愛を描く作品のジャンル総称のやつあるやん。
おまけにコラムをかいた著者名まで載っている。ありがてえ。早速Google先生に聞く。

 

www-cc.gakushuin.ac.jp

なんか出てきたぞ。

どうやらこの学会誌に載っているようだ。そして、目次などをみると

「対」の関係性をめぐる考察―BL/百合ジャンルの比較を通して―・・・・ 田原康夫

(略)

「百合」におけるカップリング類型―ボーイズ・ラブとの比較を通して―・・・田原康夫 

 この人完全にBLと百合に因果関係を考えた上で研究してるようだ。

そしてこの学会誌、無料で見れるのだ。無料で見ていいのか??

こうして初めて百合に対する文献を見つけてしまったのだ。

読んでみた

めんどくさいオタクなのでまず目次からしっかり見る。ちゃんと論文という項目で乗ってる。すげえ。

1つ目のBLに関する論文もハイパー流し読みしたが、引用文献、脚注、図表の度合いがかなり本気だった。私はこういうのの百合版が読みたかったんだ。

満を持して百合ジャンルとの比較を読む。

序でこんなに「それそれそれー!!!!!!👉😭👉👉👉👉👉👉👉👉👉」と思った論文は初めてかもしれない。

なぜ、異性愛の男女が「同性愛」表象を嗜好するのか。この問いをめぐってはさまざまな議論がおこなわれてきた。たとえばその理由は「対等性」であるといわれる。社会学者の熊田一雄は、BL ファンは「「対等な対」への志向が強く、「対等な対」のありかたに思いをめぐらせる思考実験ある いは避難の場所として「男性同性愛」という形式が必要とされて」おり、「百合文化についても、同じことが言えるのではないか」(熊田 72)と推察している。

 常々思っていたBLと百合の対称性について考えている人が他に居たとは思わなかったし、すごく共感した。

カバーイラストの分析

どんなアプローチでBLと百合を比較するのかなぁと思ったら、まさかのカバーイラストである。いや、もうちょっと色々あるじゃん……。でも着眼点がすごいなと思った。カバーイラスト1つで権力構造の表現や上下関係まで考えてる人がいるのか。世界は広い。

そう思いながらペラペラ読んでると引用文献にすっげえ見たことある表紙出てきて驚いた。こんな形で見る日が来るとは思ってなかった。

BL/百合における手の書き方や、手がどの位置にあるかで分類してるのも面白かったし、分布まで求めてるは面白かった。特に百合に顕著に見られたのが「恋人繋ぎの表紙」らしい。

 物語の「枠組み」における共通点と差異

そんなところまで話してくれるんですか!?おまけにカップリングの話をすげえしてますよね。BL特有の左右記述や、百合のカップリング名についてまで比較している。

関係性の「成就」のために

なぜBLではカップリング戦争A×B≠B×Aが起き、百合にはこれが起きないのかを書いているすごい文章を読まされた。

BLと百合では「成就」の形が違うらしい。

第 2 章で述べたように、「受け攻め」はそもそも男性同士の性行為における「挿入する/挿入される」の役割分担によって駆動されるメカニズムである。ふたつの役割は、最終的には性行為においてどちらが「攻め」、どちらが「受け」るかによって不可逆的に確定される。この仕組みは、BLの物語の結末にアナルセックスの描写が 位置していることと対応している。

(略)

たとえ両者が対称的な身体をもつ男性同士であったとしても、両者の関係性は、非対称な役割を遂行することによってしか「成就」しない。

あんまりBLを読んだことがないけども、ここまでアナルセックスが支配的なものだとは思わなかった。文中にも書いていたと思うけど、BLの性行為のイラストって一切乳首とか性器が見えてなくて、全体で成就というものを表していると書いてあってすげえ納得した。

では百合の方を見てみよう。

女性同 士の関係性を描くこのジャンルにおいて、BLのような「棒と穴」の結合によって関係性の「成就」を演出することはそもそも不可能である。

(略)

百合ジャンルは(しばしばこのジャンルがガールズ・ ラブと呼ばれるにも関わらず)必ずしも恋愛関係であることを必要条件としない曖昧さをもっている。

BL経験が低くて常々申し訳ないと思う論文だが、これは確かに百合特有の曖昧さではないかと思う。百合は女性と女性の間に発生する感情を取り扱うものだと思っているので、嫉妬、羨望、妬み、憎悪も百合と言われたら百合だと思う。
もう少し読み進めよう。

百合作品の物語的結末―女性同士の関係性の「成就」―は性行為以外の 「何か」によって演出されているはずである。だが、長い歴史と豊富な言説の蓄積をもつBLジャ ンルに対して、百合ジャンルの歴史は浅く、未だ十分な議論がなされていない。

(略)

女性同士の関係性の「成就」はすでにしてカバーイラストに示されているように推察される。それは、「手をつなぐ」という行為そのものではないだろうか。

これは悲しいが現実として受け入れるしか無い。

そして、ここで先程の「百合、恋人つなぎ多すぎ問題」が出てくる。この論文では実際に作品を抜粋して「手をつなぐ」という事象に対しての行為の説明がある。読んでくれ。

他にも成就、成就後の関係についてはこのように取り上げられている。

「手をつなぐ」行為は双方の主体性を前提としなければ完遂できないからだ。この行為は、相手の手を「受け入れる」だけでは成功しない。お互いがお互いの手を握っていなければ、「手をつなぐ」ことはできないのである。また、「手をつなぐ」行為 (=関係性)は、常にその持続可能性が問われ続けるものでもある。なぜなら、もし片方の人物が 相手の手を握ることを止めてしまえば、その関係性は直ちに水泡に帰すからである。その意味で、 このような関係性に「永遠」はない。百合が称揚する関係性は、BL の称揚する「永遠の愛の神話」、すなわち固定的な関係性に比べれば、はるかに流動的な関係性であるといえるだろう。

百合の不安定さをすごい語ってる。しかし表現がうますぎる。百合書いてくれ。
これも経験値不足だからなにも言えないのだが、BLに比べて百合は成就したカップルが必ずしも関係が続くことはあまりないと思われる。というかBLの関係性が強固すぎる気がする。

「恋愛」という、名づけられた関係性をジャンルの名称に含みこむBLに対して、百合は関係性に対する名称ではありえない(何しろそれは花の名前にすぎない)。百合が描く関係性は名づけられず、認識できない、常に流動する関係性なのである。

ちょっとBLに肩を持ちはじめたな💢と思ったが、実際はこうなのかもしれない。ガールズラブという略称であるならば、嫉妬、羨望、憎悪までもを取り込んだ関係を扱うジャンルにはならなかっただろう。

結論

普通の結論だった。しかし、「手をつなぐ」という百合の象徴をBLに当てはめている例が解説されていて面白かった。

 

おわりに

なんとまぁBLと百合に通ずるものを見つけて論文にしてしまったのだろうという感想である。ここまで真剣に百合に対しての考察をする文章を読めるとは思ってはいなかった。ちなみに後述のカップリング類型は要旨しか書いておらず、特に掘り出し物はなかった。

自分もこんな卒業論文を書いてみたかった。

引用文献、参考文献がいい記事ばかりだったので集めようと思ったが、大半が同人誌でショックである。

中里一『百合史・百合論』を持っている人がいたら、ぜひ譲ってほしい。